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ようこそ!教会は心のくつろぎの場です。
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お知らせ
新型コロナウイルス対策を踏まえた教会活動の注意事項に関するお知らせ (2023/11/24 更新)
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ママとキッズのホッとタイムに関するお知らせ (2023/4/7 更新)
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礼拝メッセージ
4月12日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「心を燃やしてくださる方」 ルカの福音書24章13〜35節
「二人の目はさえぎられていた」(16節)。恐れと疑いは復活のイエスに出会うときの大きな障壁となる。非常な苦しみに会ったとき、聖書の約束が信じられず、神に失望して信仰を捨てようとしたことがあるだろうか。私たちの目はさえぎられていてもイエスはどんなときも見捨てず、ともに歩いてくださっていることを覚えたい。
「私たちの心は内で燃えていた」(32節)。火がともるという意味の言葉が使われている。ランプの油が満ちて火がともり、燃え続ける。渇いた心、傷ついた心に、イエスの愛が満ちるとき、私たちの心に火がともり、燃え続けるのである。
イエスの愛とは私の罪のために死なれた十字架の愛、そして復活してくださったことによって永遠までも決して見捨てないと明らかにされた愛である。
今私たちの内におられる聖霊に「教えてください」と祈りながら聖書を読むとき、そこに一緒に歩いてくださるイエスの語りかけを聞くだろう。
4月5日 聖日礼拝 富居博典牧師
「絶望の先にあるもの」 マルコの福音書16章1〜8節
十字架に掛られた主は午後3時に息を引き取られた。日没まで時間が迫っていたため、アリマタヤのヨセフは急いで遺体を墓に納めたのです。その後の女たちから教えられたい。
1.墓に向かう(1節〜3節) 安息日の翌朝早くに女たちは香料を持って墓に向かった。墓は大きな石で塞がれており、施しは無理であると知っていたはずです。しかし主を失った悲しみがそうさせたのです。私たちにも神でしか満たし得ない心の空白があるのです。
2.墓の中へ(4節〜6節)並行記事に墓石は地震によって動かされたとありますが、人の手で動かし難いこの石は、何を意味しているのか。それは人の罪であり死を意味します。そして墓は空でした。主は人の罪と死を滅ぼし、よみがえられたのです。
3.墓を出てガリラヤへ(7節〜8節)御使いは主が前に言われた通り、ガリラヤで会えると言われました。絶望や不信仰の中にある弟子たち女たちを、臨在をもって立ち直らせるために復活の主が現われて下さったのです。
3月29日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「神の愛は限りなく」 ルカの福音書23章32〜38節
「彼らは自分が何をしているのかが分かっていないのです」(34節)。
これが神の目から見た私たちの姿である。「何をしているのかが分かっていない」というのは、知識がなくて無知ということではない。神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神に背く姿である(ローマ10:3参照)。イエスは、こんな私たちをあわれんで、十字架上で「父よ彼らをお赦しください」ととりなしの祈りをささげられ、ご自身を私たちの罪の代価としてささげられた。
「あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか」(創世記3:11)。神に問われた場面で、彼らは真摯に答えることをしなかった。本来対話とは相手の言葉に耳を傾け、相手が何を求めているか、その心に寄り添うところから生れるものである。約束を破った彼らはエデンの園から追放され、以来、私たちは神との対話を失い、人との対話も失ったのである。
「しかし神は私たちを愛するゆえに」。私たちとの愛の交わりを回復するために、イエス・キリストは辱めをものともせずに十字架の苦しみをお受けになった(ヘブル12:2参照)。このキリストの愛を心開いて受け取るとき、私たちは神の限りない愛の中で永遠に生かされることを知る。
3月22日 聖日礼拝 村石恵示さん
「押し出してくださる神」 出エジプト記3章1〜15節
神はモーセの日常の中に、燃えても燃え尽きない柴として現れました。弱く取るに足りない柴の中に神がおられたように、神は特別な場所ではなく、私たちの日常の中に入ってきてくださいます。
エジプトで苦しむイスラエルの民に対して、神は「確かに見た、聞いた、確かに知っている」と言われます。民の痛みをご自身の痛みとして感じ、神の側から降りてきてくださった。召命はモーセの側からではなく、神が先に動かれたことから始まっています。
「わたしは何者でしょう」このモーセの言葉は謙遜ではなく、失敗を重ねてきた者の本音の言葉です。でも神の答えは「あなたは十分だ」ではありませんでした。「わたしが、あなたとともにいる」——自分の無力さを知った者のところに、神の力は現れます。私たちの能力ではなく、遣わしてくださる方ご自身に、根拠があります。
「わたしはある」という御名は、この「わたしが、あなたとともにいる」と同じ言葉から来ています。神の名前そのものが、「ともにいる」という約束なのです。
聞こえていますか、あなたを呼ぶ声
人はだれでも愛されたいと思います。愛なしでは生きられないように造られているからです。人はだれでも永遠を思います。永遠に生きるように造られたからです。人はだれでも真実なものに感動します。真実な神が私たちの創造主だからです。
事実、私たちを造られた神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と語りかけておられます。
ここに私たちの人間としての尊厳があります。
砂漠に放置された時計は、どんなに正確に時を刻んでも、それを造った人間と向き合い役に立たない限り、空しいと思うでしょう。
私たちがどんなに発達した文明の中にいても、どこか孤独で空虚で不安な理由は、私たちを限りなく愛しておられる神に背を向けているからです。私も思春期に大きな挫折の中で、聖書を通してこの神にお出会いして、六十数年、喜びと希望に生かされて来ました。
教会こそあなたの生きる意味と生きる喜びを与える唯一の場所です。
東京若枝教会は、あなたをお待ちしています。
牧師 飯塚 俊雄
教会紹介
私たちの教会は1968年、練馬区関町の借家の八畳の板の間から始まりました。
現在の牧師は音楽性ゆたかな飯塚弘道牧師です。
地域の方々に愛され、親しまれ、今や毎週の聖日礼拝には90歳をこえる方々から、働き盛りのパパやママ、青年、学生、中高生、小学生はもちろん、赤ちゃんにいたるまでたくさんの人々でにぎわいます。
牧師の心は温かく、お話はわかりやすく、慰めといやしと希望のメッセージはきっとあなたの心にも届くでしょう。
※当教会は統一教会、モルモン教、エホバの証人、幸福の科学とは一切関係ありません。
また当教会では駐車場整理の都合上、車でお越しの方には駐車票の掲示をお願いする場合があります。ご理解のほどお願いします。
