東京都西東京市プロテスタントキリスト教会・東京若枝教会

東京若枝教会

東京若枝教会のホームページへようこそ  

 ようこそ!教会は心のくつろぎの場です。
  教会は魂の深い渇きが満たされる場です。
   牧師にご用のある方は遠慮なくご連絡ください。
     祈ってほしい方もどうぞ      牧師

メッセージ  

お知らせ  

新型コロナウイルス対策を踏まえた教会活動の注意事項に関するお知らせ (2023/11/24 更新)


ジョイタイムに関するお知らせ (2022/1/19 更新)

 感染予防対策をしてお待ちしております。詳しくはジョイタイムをご確認ください。

ママとキッズのホッとタイムに関するお知らせ (2023/4/7 更新)

 感染予防対策をしてお待ちしております。詳しくはホッとタイムをご確認ください。

礼拝メッセージ  

11月16日 聖日礼拝 富居博典牧師  

「愛をもって仕え合う」 ガラテヤ書5章7〜15節

 パウロは挨拶早々に間違った教えに惑わされているガラテヤの信徒を叱責している。その教えとは「割礼を受けなければ救われない」と言うものです。しかし救いは主の十字架の恵みにより、信仰によるものであり、割礼を含めた律法によるものでは決してありません。これを踏まえてキリスト者の自由について5・13から学びたい。
一、本当の自由とは
 自らに由って立つ生き方こそが自由だと考えるかもしれません。しかし神から離れては生きる目的もゴールもわからず不自由になるだけです。神との関係を回復し、御許に帰ってこそ自由を得るのです。(ルカ15・11〜24)
一、自由を肉の働く機会としない
たとえキリスト者であっても肉に生きてしまう危うさがあります。御国へ行けるのだから自由気ままに、あるいは形式や結果にこだわる考えがそうかもしれない。いつもキリストの愛に満たされ、肉の働く隙を与えてはなりません。
一、愛をもって互いに仕え合う
 倣うべきは弟子たちの足を洗われたイエス様です。(ヨハネ13・1〜15)罪と律法の奴隷から解放された私たちはキリストの愛に押し出されて互いに仕え合うのです。それこそが信じる者の本当の自由です。

11月9日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師  

「ただ神の恵みによって」 使徒の働き15章1〜11節

一、「この問題について協議するために集まった」。7節に、多くの論争があった後、と記されているが、ときに意見の対立もあり、長い時間を要することもある。しかし、どのような問題に対しても、これは神が教会を導こうとするときに与えられる必要なプロセスだと受け止めることができれば一致を得る。一致によって神のご計画の中を新たに一歩進ませて頂くことができる。
一、「神はユダヤ人と異邦人の間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださった」。「神が」ペテロを通して異邦人が神を信じるようにされ、「神が」異邦人にも聖霊を与えて証しされた。神が主導権を握っておられる。エルサレムでの協議の過程は、異邦人の救いは新たな神のご計画であると、目が開かれて行く過程であった。
一、「私たちは、主イエスの恵みによって救われる」。恵みは一方的に神から注がれる愛である。律法による義ではなく、信仰によって義と認められる恵みの時代が来た。イエス・キリストの十字架の愛以外に救いの根拠となるものはない。使徒たちが聖霊の働きを認識していたように(28節、聖霊と私たちは)、この救いを私たちは聖霊に導かれながら隣人に伝えて行くのである。

11月2日 聖日礼拝 富居博典牧師  

「天の故郷に憧れて」 へブル人への手紙11章1〜16節

迫害を受けているへブル人クリスチャンに対して、「あなた方の確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。」と励ます著者は、本章で信仰に生きた人々の実例を列挙し、あるべき信仰者の姿を具体的に教えている。この所から信仰とはどのようなものであるか考えよう。
一、信仰とは神の約束を確信する
1節で「信仰は、望んでいることを保証し」とあるが、聖書は空想話ではありません。実体のあるものとして「確信」(新共同訳)することです。そしてみ言葉の約束こそが私たちの希望なのです。この約束を現実味をもって受け止めることが大切です。
一、信仰とは神の約束に従って生きる
アブラハムは「どこに行くのかを知らずに」神の約束を信じて旅立ったが、それは自分勝手に出発したのではありません。神の確かなみ言葉に対する応答なのです。たとえ先を予見できなくても、信仰生涯は決して闇の中を歩くことはないのです。(ヨハネ8・12)
一、天の故郷への憧れこそが信仰
天の故郷である御国はどんなところであろうか。神であられるイエス様は、持っている物すべてを売り払って買う程に価値のある所だと言う。この御国を受け継ぐ者とされている(ローマ8・17、18)ことに心からの感謝と憧れをもって歩みたい。

10月26日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師  

「神さまとふたりきりの時間」 使徒の働き10章9〜23節

一、「ペテロは祈るために屋上に上った」。ペテロは神さまとふたりきりになることを求めた。それは神と自分の間にいかなる他者も入れない時間である。御言葉があり、祈りがあり、賛美が生まれる時である。また、神のふところで安息し、平安に満たされる時である。試練に対処するために信仰者にとって必要な力に満たされる大切な時なのである。
一、「天が開け、大きな敷布のような入れ物が、地上に降りて来るのが見えた」。時に神は祈る者にビジョンを見せてくださることがある。それにより進むべき方向が指し示されたり、問題解決の知恵が与えられることもある。また悔い改めるべきことが示されることもある。
一、「ペテロは幻について思い巡らしていた」。神が見せてくださったビジョンを思い巡らす必要がある。これが神からのものであると確信を持つまで思い巡らす。
自分本位に解釈しないために、そこには聖霊の助けを祈り求めることが必要である。
一、「翌日、ペテロは立って、彼らと一緒に出かけた」。祈り、神からのビジョン、思いめぐらし、聖霊による確信を与えられて、この時のペテロに恐れと迷いはなかった。この時のペテロの行動から異邦人伝道への道が開かれて行くのである。

 

聞こえていますか、あなたを呼ぶ声  

人はだれでも愛されたいと思います。愛なしでは生きられないように造られているからです。人はだれでも永遠を思います。永遠に生きるように造られたからです。人はだれでも真実なものに感動します。真実な神が私たちの創造主だからです。
 事実、私たちを造られた神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と語りかけておられます。
 ここに私たちの人間としての尊厳があります。
 砂漠に放置された時計は、どんなに正確に時を刻んでも、それを造った人間と向き合い役に立たない限り、空しいと思うでしょう。
 私たちがどんなに発達した文明の中にいても、どこか孤独で空虚で不安な理由は、私たちを限りなく愛しておられる神に背を向けているからです。私も思春期に大きな挫折の中で、聖書を通してこの神にお出会いして、六十数年、喜びと希望に生かされて来ました。
 教会こそあなたの生きる意味と生きる喜びを与える唯一の場所です。
 東京若枝教会は、あなたをお待ちしています。
     牧師 飯塚 俊雄

教会紹介  

私たちの教会は1968年、練馬区関町の借家の八畳の板の間から始まりました。
現在の牧師は音楽性ゆたかな飯塚弘道牧師です。
地域の方々に愛され、親しまれ、今や毎週の聖日礼拝には90歳をこえる方々から、働き盛りのパパやママ、青年、学生、中高生、小学生はもちろん、赤ちゃんにいたるまでたくさんの人々でにぎわいます。
牧師の心は温かく、お話はわかりやすく、慰めといやしと希望のメッセージはきっとあなたの心にも届くでしょう。

※当教会は統一教会、モルモン教、エホバの証人、幸福の科学とは一切関係ありません。
また当教会では駐車場整理の都合上、車でお越しの方には駐車票の掲示をお願いする場合があります。ご理解のほどお願いします。

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional