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ようこそ!教会は心のくつろぎの場です。
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お知らせ
新型コロナウイルス対策を踏まえた教会活動の注意事項に関するお知らせ (2023/11/24 更新)
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ママとキッズのホッとタイムに関するお知らせ (2023/4/7 更新)
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礼拝メッセージ
1月18日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「イエスに愛されて」 ヨハネの福音書1章9〜18節
一、「イエスはすべての人を照らすまことの光である」。創世記の初めに「光あれ」と言われた神は茫漠として何もなかった闇の世界に光を投じられた。新約の時代、地上の闇ではなく人の心の闇を照らす真実の光としてイエスは来られたのである。ヨハネは、人が罪の支配から救われることを闇から光へ導き入れられると、象徴的に表現する。
一、「ことばは人となった」。神であるキリストの受肉は人間にとっては信じがたいことである。それゆえ、人々はこの方を受け入れなかった。受け入れると訳されている原語は〈交わりを生み出す性質〉をもつ言葉である。つまり人々は、神との関わり、神との交わりを拒否したのである。
一、「イエスに愛された弟子」。これはヨハネのアイデンティティである。
イエスに愛された者という自己認識が、迫害下でも、彼が神の子キリストを証ししていく力となった。そしてまた、もう一つのイエスの弟子であるという認識が、彼をキリストに似た者に変えて行ったのである。ヨハネの福音書は彼がイエスと一つ心となって書き記した書だと言える。
1月11日 聖日礼拝 富居博典牧師
「岩の上の人生」 マタイの福音書7章24〜29節
山上の説教は7章の後半に入り、「狭い門と広い門」あるいは「良い木と悪い木」そして最後に「岩の上の家」と「砂の上の家」の対比をもって締めくくられる。
一、家そして岩とは
ここでの家とは私たちの人生であり、岩とは神でありイエス・キリストを意味している(詩篇18・2、第一コリ10・4)。人は誰もが賢い人生を送りたいと願う。しかし人生を表す家をいかに立派に建て上げることではなく、地面を深く掘り下げて岩の上に土台を据えているか否かが大切なのです。(ルカ6・48)
一、岩の上に建てるとは
神のみ言葉を聞いて行うことが岩の上に建てる賢い者だと言う(ヤコブの手紙1・22〜23)。しかし賢い者と愚かな者と簡単に二分できるものではない。ただ恵みと信仰によって救われたように、恵みと信仰によって岩の上に建てる者とさせて頂くのです。
一、いずれの家をも襲う暴風雨とは
主が言われる雨や川の氾濫、強い風は、ただ単に人生の試練と言うだけでなく、命に至るか滅びに至るかを決するような大きな試練をも含む。み言葉を土台としていなければ神の審判には耐えられません。権威あるみ言葉にしっかりと聞く耳をもって聞き、行う者でありたい。
1月4日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「神の計画の豊かさ」 エレミヤ書29章1〜14節
一、「家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ」。神は捕囚の民となったイスラエル民族に、その地で作物を作り、それを食し、妻を迎えて家族を増やせと言われた。それは受け身ではなく主体的に生きるということである。そのとき、試練の中にも神がちゃんと計画を持っておられることを知ることができる。
一、「その町の平安を求め、その町のために主に祈れ」。敵国の平安のために祈れと。それは試練の中にあっても信仰を養うということである。この神のことばに従った者たちによって、イスラエルの神信仰がやがてその地の異邦人にも伝わって行くこととなる。神の計画の奥深さである。
一、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている」。神の計画は無責任なものではない。私たちは試練に囚われがちだが、神は永遠までも見据えて計画を立てておられる。
一、「心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける」。これは神との祈りの交わりである。今、神は私にどんな計画をお持ちなのか、祈り、聞こう。それは、約束された将来と希望のときまで、整えられるとき、備えのときとなる。
12月28日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「圧倒的な勝利者として」 ローマ人への手紙8章31〜39節
一、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(31節)。
イエス・キリストはインマヌエルの神である。それは、神がどのような状況においても私たちの味方だということである。私たちに敵対するものは確かに存在する。その目的は、私たちを神の愛から引き離すことである。
一、「だれが、神に選ばれた者たちを訴え、罪ありとするのですか」(33、34節)。イエス・キリストの十字架の贖いにより、今や、私たちは信仰によって義(罪なし)と認められている。これは「ローマ人への手紙」の主題でもある。しかも、私たちを訴える者たちに対して、御霊ご自身が(8:26)、キリスト・イエスが弁護者となってくださっているのである。
一、「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(39節)。神の愛は神の主導、イエス・キリストが十字架にお架かりになることを、いかなるものも阻止することはできなかった。多くの敗北感も失望も、私たちを神の愛からひき離すことはできない。私たちに御子の命をくださるほどに愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者とされるのである。
聞こえていますか、あなたを呼ぶ声
人はだれでも愛されたいと思います。愛なしでは生きられないように造られているからです。人はだれでも永遠を思います。永遠に生きるように造られたからです。人はだれでも真実なものに感動します。真実な神が私たちの創造主だからです。
事実、私たちを造られた神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と語りかけておられます。
ここに私たちの人間としての尊厳があります。
砂漠に放置された時計は、どんなに正確に時を刻んでも、それを造った人間と向き合い役に立たない限り、空しいと思うでしょう。
私たちがどんなに発達した文明の中にいても、どこか孤独で空虚で不安な理由は、私たちを限りなく愛しておられる神に背を向けているからです。私も思春期に大きな挫折の中で、聖書を通してこの神にお出会いして、六十数年、喜びと希望に生かされて来ました。
教会こそあなたの生きる意味と生きる喜びを与える唯一の場所です。
東京若枝教会は、あなたをお待ちしています。
牧師 飯塚 俊雄
教会紹介
私たちの教会は1968年、練馬区関町の借家の八畳の板の間から始まりました。
現在の牧師は音楽性ゆたかな飯塚弘道牧師です。
地域の方々に愛され、親しまれ、今や毎週の聖日礼拝には90歳をこえる方々から、働き盛りのパパやママ、青年、学生、中高生、小学生はもちろん、赤ちゃんにいたるまでたくさんの人々でにぎわいます。
牧師の心は温かく、お話はわかりやすく、慰めといやしと希望のメッセージはきっとあなたの心にも届くでしょう。
※当教会は統一教会、モルモン教、エホバの証人、幸福の科学とは一切関係ありません。
また当教会では駐車場整理の都合上、車でお越しの方には駐車票の掲示をお願いする場合があります。ご理解のほどお願いします。
