
東京若枝教会のホームページへようこそ
ようこそ!教会は心のくつろぎの場です。
教会は魂の深い渇きが満たされる場です。
牧師にご用のある方は遠慮なくご連絡ください。
祈ってほしい方もどうぞ 牧師
メッセージ
お知らせ
新型コロナウイルス対策を踏まえた教会活動の注意事項に関するお知らせ (2023/11/24 更新)
ジョイタイムに関するお知らせ (2022/1/19 更新)
感染予防対策をしてお待ちしております。詳しくはジョイタイムをご確認ください。
ママとキッズのホッとタイムに関するお知らせ (2023/4/7 更新)
感染予防対策をしてお待ちしております。詳しくはホッとタイムをご確認ください。
礼拝メッセージ
8月24日 聖日礼拝 桑原晴美伝道師
「自分らしさを知る」 創世記3章1〜10節
一、「善悪の知識の木からは、食べてはならない」。善悪の知識は神の領域である。人は善悪の知識を自分の基準(自我)によって用いてはならない。それは、人間同士が裁き合い、傷つけ合い、戦争に至るように、人間を悲惨と破滅に追いやるものである。
一、「目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知るものとなる」。神のようになるとは、神により頼まなくても生きられるようになるという誘惑である。神を必要としない、神との関係の破壊、断絶を意味する。
一、「ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った」。自分たちが無防備であると感じて恐れ、いちじくの葉で腰を覆った。神が造られた自分らしさを受け入れられない頑なな自我の姿である。
一、「神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した」。神への信頼は失われ、ここに神との隔ての壁が生まれた。この隔ての壁を打ち壊し平和を実現してくださったのがキリストである(エペソ2:14―16)。
一、救いとは自分の基準(自我)からの解放である。自我がどれほど、神から造られた自分らしさを傷つけることか。私たちとこの世界を造り、非常に良かったと言われた神の愛に目が開かれますように。
8月17日 聖日礼拝 富居博典牧師
「恐れに打ち勝つ」 マルコの福音書4章35〜41節
イエス様の存在に危機感を覚えた律法学者たちは、ついに「イエスは汚れた霊につかれている」と言い出した。この出来事が福音宣教の一大転機となり、イエス様はたとえ話を多くされるようになる。聞く耳のある者にはその真理が明確となり、また弟子たちの訓練に時間を割くようになる。そんなある日の夕方、イエス様は弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。その後、激しい突風に見舞われた船上での三つの問いから学びたい。
一、私たちが死んでも、かまわないのですか。(38)
この問いの背後には恐れの心理がある。弟子たちだけではなく、私たち誰もが恐れやすい者であることを認めなければなりません。そして本当の問題はそれに縛られることです。(箴言29・25)
一、 どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。(40)
先の「死んでも構わないのですか」は、イエス様に対する祈りと言っても良いと思うがそれではダメなのか。イエス様は私たちの信仰の成長を願っておられるのです。信仰はみことばへの全き信頼と確信とも言えます。また信仰の試練は実に尊いのです。(へブル11・1)
一、 いったいこの方はどなたなのだろうか。(41)
人命が奪われることは恐ろしいことです。しかしそれ以上にイエス様は恐れるべきお方です。この恐れはイエス様こそが天地を創造された力あるお方であり、愛に満ちた救い主であられるからです。
8月10日 聖日礼拝 下田順子さん
「天の窓を開く祈り」 ガラテヤ人への手紙2章19〜21節
一、赦せる幸い
忘れたいのに忘れられない心の傷や、赦したいのに赦せない思い。そのような内なる葛藤に、主は静かに寄り添い、愛をもって私たちの心を溶かしてくださいます。私は養母との困難な経験の中で、祈りと神の愛によって赦しと和解を経験しました。神様は私たち一人ひとりにも人を赦す力と希望を与えてくれます。
一、キリストによる自由
関東大震災や戦争、病など、家族の歩みには多くの試練がありましたが、そこには確かな主の守りと導きがありました。私自身、若い頃、自分の人生を主に明け渡す決断へと導かれ、「キリストが生きておられる」ことを実感しました。私たちも、主にすべてをゆだねるとき、真の自由が与えられます。
一、祈りの力
祈りは天の窓を開きます。赦し、愛し、明け渡す歩みの中で、神の奇跡と栄光があらわされます。主は、私たちの人生を通してご自身の御業をなしたいと願っておられます。今朝も心を開き、「天の窓を開く祈り」に共に招かれましょう。
8月3日 聖日礼拝 富居博典牧師
「万事が益となる」 ローマ人への手紙8章26〜30節
パウロはローマにある教会に宛てて、「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない」と書いている。神の選びによって召された私たちは聖霊のバプテスマによってキリストと一体化し、義と認められたのです。しかし信仰者にも苦難が襲う。むしろその苦難と共に神はここで三つの事を約束している。
一、御霊ご自身が助け、とりなしてくださる(26、27節)
祈りは私たちにとって必要不可欠であり呼吸のようなものです。(第一テサロニケ5・17)ところが祈りを捧げられない時があり、どのように祈ったら良いかもわからない時があります。そのような時に御霊ご自身が共にうめき、とりなしてくださると言うのです。
一、すべての事がともに働いて益となる(28節)
世の中は強さや完全な物事にこそ価値を見出します。しかし神は良い事だけでなく、気落ちさせるような悪いことや欠けや弱さもすべてを益に変えて下さるお方です。そこに神の御力が現われるのです。(第二コリント12・9)
一、御子のかたちと同じ姿に(29、30節)
義とされた私たちはやがて来る栄光に向かって変えられていきます。(第二コリント3・18)「益となる」と言っても自分のためではなく、御子の姿に似ると言う目標に於いての意味です。驚くことにこの約束は私たちに既に与えられているのです。
聞こえていますか、あなたを呼ぶ声
人はだれでも愛されたいと思います。愛なしでは生きられないように造られているからです。人はだれでも永遠を思います。永遠に生きるように造られたからです。人はだれでも真実なものに感動します。真実な神が私たちの創造主だからです。
事実、私たちを造られた神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と語りかけておられます。
ここに私たちの人間としての尊厳があります。
砂漠に放置された時計は、どんなに正確に時を刻んでも、それを造った人間と向き合い役に立たない限り、空しいと思うでしょう。
私たちがどんなに発達した文明の中にいても、どこか孤独で空虚で不安な理由は、私たちを限りなく愛しておられる神に背を向けているからです。私も思春期に大きな挫折の中で、聖書を通してこの神にお出会いして、六十数年、喜びと希望に生かされて来ました。
教会こそあなたの生きる意味と生きる喜びを与える唯一の場所です。
東京若枝教会は、あなたをお待ちしています。
牧師 飯塚 俊雄
教会紹介
私たちの教会は1968年、練馬区関町の借家の八畳の板の間から始まりました。
現在の牧師は音楽性ゆたかな飯塚弘道牧師です。
地域の方々に愛され、親しまれ、今や毎週の聖日礼拝には90歳をこえる方々から、働き盛りのパパやママ、青年、学生、中高生、小学生はもちろん、赤ちゃんにいたるまでたくさんの人々でにぎわいます。
牧師の心は温かく、お話はわかりやすく、慰めといやしと希望のメッセージはきっとあなたの心にも届くでしょう。
※当教会は統一教会、モルモン教、エホバの証人、幸福の科学とは一切関係ありません。
また当教会では駐車場整理の都合上、車でお越しの方には駐車票の掲示をお願いする場合があります。ご理解のほどお願いします。